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脊髄損傷から6年

11月10日で脊髄(頸髄)損傷を負ってから6年の月日が経ちました。

昨年のブログで怪我当日の出来事を書きましたが、今回は6年前を思い出しながら入院期間中のことを綴ってみたいと思います。

 

11月10日に岡山県津山市の病院に救急搬送され、脊髄損傷の診断。

 左脚、そして両手指先は動かない。

 左脚は位置覚が欠損し、膝が伸びているのか曲がっているのか。

 よく「左脚が曲がっているから伸ばして!」と伝えると「伸びているよ」と。

 また右半身胸から下(足先まで)は、熱い、冷たい、痛いの感覚が無い。

 当然、ベッドに横たわったまま。

食事はベッドを30°起こし介護していただきながら口に運んでくれるものを食す。「焼き鳥です」とか、「ごはんです」とか、「リンゴです」とか言ってくれて食するのだが、食べているものは見えない。やはり食は見る楽しさがある方が断然いいなぁと実感しました。また食べさせてもらうことがこんなに大変だとは…

どれくらい経ってからだろうか、右手指先が力はないものの少し動きだし、作業療法士さんから洗濯バサミでのリハビリを勧められ、洗濯バサミを持ってパジャマに着けたり、外したりしていました。

そんな中、家内が転院の話を進めてくれ、15日に脊髄手術に定評のある神戸市内の病院へ転院することとなった。受傷後間もないことや岡山県から兵庫県へ県境をまたいでの移動など高いハードルもある中、上手く交渉してくれたようだ。

移動は津山で入院していた病院の救急車で医師付き添いのもと移動。移動の最中は神経痛との戦いでしたが、無事完了し改めて診察。

手術は25日に行われることに。頸椎6番7番前縦靭帯が破綻しているため、自分の骨盤の骨を切り取り、頸椎6番と7番の間に移植、そして前方を固定する手術。

転院したこの日左脚が少し動き、立って歩ける可能性が見えた日にもなりました。

 

翌日16日からはベッド上で座ってのリハビリが始まる。

  食事はベッドを起こしてまだ食べさせてもらうのであまりすすまない。

18日初めての車椅子。食事も自分でフォークを使って食べることに。

20日初めて立つ!といっても理学療法士さんに思いきり補助してもらって。

21日初めてトイレで大便。これも理学療法士さん、看護師さんに付き添ってもらって(^^)

23日左足指先に今までと違う感覚が。発熱。

25日手術当日

 朝の検温37.1°C

 2回目検温37.2°C

 13時より手術(喉を通す管がなかなか入らなかったらしい)

 16時半頃無事終了

 無事終了メールは左手指先が動かず自分で送れない。

27日尿カテーテル取れる。これで管はすべて外され人間に戻った感じがした。

  食事もお箸を使ってできるように。

28日立ったところから一歩を出す練習。

  左足を出すのは想定どおり難しい。右足出すのも思っているよりできなかった。

29日リハビリ室デビュー。病室でのリハビリからリハビリ室に。

  平行棒や歩行器を使用したり。なかなか上手くいきません。

 

12月に入り、

4日転落した際できた傷を縫い合わせていた糸をようやく抜糸。

  そして待望のシャワー。もちろんすべて付き添いありで。

7日病室からトイレの移動(非常に近い)は車椅子から歩行器へ。

  左手指先はなかなか動きません。

10日院内の移動はすべて車椅子卒業し歩行器に。

13日リハビリ室から病院受付まで理学療法士さん支えなしで初の往復成功。

  左手の指先は希望が持てる感じに。

16日ひとりでシャワー。

  リハビリではほぼ支えなしのひとり歩行も。階段も行ってみました。

24日初外出。大阪八尾まで車を見に行きました。そして購入。

25日首のコルセット外してよしの許可。

30日初外泊。久々の自宅(^^)

31日外泊から戻る。

 

1月

1日元旦の朝は病院。実家の赤穂へ。

2日赤穂から妻実家へ。

3日再び病院へ。

  これを機に外泊が癖に(^^)…のちのち度々の外泊を主治医より注意受ける。

20日MRIの診断で神経の通りが良くなっていることを確認。

23日初後藤先生によるリハビリ

30日サンタババリコでカット。

  リハビリで初めて病院横の公園へ

31日50歳の誕生日は病院で。

 

2月

5日レントゲンで手術後の経過を確認。綺麗にくっついているようです。

7日初めて病院近くのローソンへ

  横断歩道を渡るのに時間がかかってしまう。またちょっとした下り坂が怖い。

8日病院からの雪景色

  握力測定 右20 左5 5って?(今は右37 左18くらい)

25日公園→階段を登り降り→公園の散歩もだいぶ止まらずに歩けるようになってきました。

28日ついに退院。私のリクエストで姫路のイタリアン イルフォルノへ。

 

この間、医師、看護師、特に理学療法士はじめ病院スタッフの皆様、お見舞いに来てくださった皆様、激励をくださった皆様、家族、特に妻には感謝しても感謝しきれません。

今では毎日テニスコートに立ち、子どもたちとテニスを楽しめていることが何より嬉しいです。

 

まだまだ人生は続きますが、前向きにチャレンジすることを忘れず生きていきたいと思います。